2011年3月11日、場所は彦根。急に大きな揺れが襲ってきました。滋賀県東部の震度は4くらいだったのでしょうか、結構な揺れが長い時間続いていました。父が亡くなって2ヵ月経ったこの日は、お昼過ぎまで彦根の会社で仕事をして、昼過ぎから法務局へ行く予定でした。地震が来たのはそろそろ仕事を片付けて法務局へ行こうとしていたその時でした。揺れが収まるのを待って出発したのですが、その時は「大きな地震だったなあ」と思っただけで、まさか東北地方があんな状態になっているとは夢にも思いませんでした。法務局に着き、ロビーのTVを見ると...「えっ~!!?」... 絶句です。あれからもう14年も経ったんですね。まだ行方不明のままの方もおられるようで、そんな方々のことを思うと何ともやるせない気持ちになります。日本は有数の地震国でいつ何時どこで大地震が起こるか分かりません。防災意識を高める活動が私の地元でも行われていますが、実際にその場になったら訓練通りにはいかないことが多いでしょうね。望むらくは大地震はもう来ないでほしい、そう願うばかりです。
2025年3月11日火曜日
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あれからもう14年...
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