2024年10月31日木曜日

おめでとう!ドジャース、おめでとう!大谷選手

 MLB ワールドシリーズ第5戦

ニューヨークヤンキース 6-7 ロサンゼルスドジャース

 ドジャース勝ちましたねぇ。大逆転ですかあ、スゴイです。大谷選手は先日の怪我の影響か、今日もあまりいい出来ではなかったですが、今まで頑張って素晴らしい成績を残してきた甲斐がありました。今日は再びヤンキースが勝って第6戦でロサンゼルスに戻ってホームで優勝を決めるのかな...ということも想定していたのですが、見事な逆転劇でした。二十代のころはプロ野球もよくTVで見ていましたが、もう今ではほとんどプロ野球の試合をTVで見ることはなく、野球を見ると言えば高校野球くらいかな。今夜はたぶん日本中がドジャースの優勝に祝杯をあげることでしょう。ニュース番組もドジャース&大谷選手のニュース一色で染まりそうです。私も今日は大谷選手に乾杯をしたいと思いますが、その次は来月行われる2026ワールドカップサッカーのアジア最終予選(15日 インドネシア代表ー日本代表、19日 中国代表ー日本代表)に気持ちを集中したいと思います。2つともアウェイゲームなので簡単ではないかもしれませんが、パワー100%で応援します!

2024年10月22日火曜日

姫路城へ

 天橋立から始まった反時計周りのきまま旅は、鳥取砂丘を訪れたあと湯村温泉で一泊。最終日は湯村温泉から兵庫県を南下し、姫路城を訪れました。白鷺城とも呼ばれるこのお城はその名のとおり、白色が基調になっています。お城には松本城や熊本城の黒系お城と姫路城や彦根城などの白系のお城があります。姫路城を間近で見るのは初めてでしたが、美しく雄大です。天守の一番上(天守6階)まで上がらせてもらいましたが、急で狭い階段で登るのは結構大変でした。昔の人は小さかったということですかね?私もそうでしたが、大柄な外人さんたちも背中を丸めて頭を打たないように慎重に移動しておられました。日野町から出発した今回の旅、トータルの移動距離は600kmを超える旅でした。

 
とにかく規模が大きいお城です

合成写真ではありません


2024年10月21日月曜日

餘部駅から鳥取砂丘へ

 餘部橋梁にやってきました。今から40年近く前、強風に煽られた列車がこの餘部駅のすぐ横の鉄橋から転落し、多くの犠牲者を出した事故がありました。高校生の頃に夜行列車に乗って「知らないうちに通過した」経験はありましたが、お日様が高いうちにこの鉄橋を生で見たことはなく、以前から是非一度訪れたいとずっと思っていました。その思いを叶えるべく(車での訪問でしたが)やっとのことで訪れることが出来ました。当時から鉄橋も線路も新しくなっていますが、古い橋脚や線路も部分的に残されています。到着してすぐ、慰霊碑に手を合わせ、犠牲になられた方々のご冥福を遅まきながらお祈りしました。鉄橋の上にある「空の駅」には1時間に1本くらいしか列車が来ないのですが、時刻表を確認し、とりあえず1本だけ列車の姿を見届けて駅を離れました。その後、鳥取砂丘まで足を運び、初めて見る砂丘の圧倒的な広さに感激。思った以上に砂が柔らかくて歩きにくかったのですが、日本海とのコントラストは抜群で、眼前に広がる美しい日本海をいつまでも見つめる自分がありました。






2024年10月20日日曜日

44年ぶりの訪問

舞鶴からフェリーに乗り、宿も十分とらずに北海道へ2週間の放浪の旅に出たのは今から44年前の大学生の頃。舞鶴からフェリーに乗る前に近くにある天橋立に立ち寄ったのですが、もう全くといっていいほどどんなところだったか覚えていません。その天橋立を44年ぶりに訪れました。笠松公園側へ行き、リフトに乗って上まで行ったのですが、マジで絶景です。44年前は上まで登らなかったので覚えてないのかな...そんな風に思います。その後、車で海辺の道をクネクネと進み、竹野海岸にやってきました。風が強く、日本海は荒れまくっています。今夜は竹野海岸で一泊し、明日は朝から餘部駅(40年近く前、列車が鉄橋から転落するという大きな事故があった)に向かう予定です。



2024年10月19日土曜日

液晶TVの礎となった技術を支えた男たち

 1990年頃といえば液晶ディスプレーの黎明期。当時はパソコンのモニターが中心でしたが2000年前半になると一般家庭にも液晶TVが普及し始めます。その液晶ディスプレー全盛期の頃、S社・彦根事業所で液晶製造装置のハードウェア&ソフトウェア設計をして国内外を飛び回っていた電気設計グループOBの飲み会が彦根市内であり、出席してきました。当時、液晶ディスプレーの製造技術で世界のトップを走っていたメンバーも今はみんな60代半ば、私のボスはもう76歳です。飲み会では、液晶や有機ELなどの薄型TVの先駆けとして日本だけでなく世界と戦ってきた時の逸話や武勇伝、おまけに今の自分の病気の話?などで話に花が咲き、あっという間に時間が過ぎてゆきました。短い時間でしたが、笑いの絶えない楽しい時間になりました。



2024年10月15日火曜日

とうとう失点したけど

 2026W杯アジア最終予選

日本代表1-1(0-0)オーストラリア代表

予選が始まってからまだ1点も取られていない日本代表。このままいつまでも失点しないなどということはない...とは思っていましたが、まさかオウンゴールが初失点になるとは思いませんでした。不運な形で先制されましたが、その後も落ち着いていたと思います。オーストラリアは非常に大柄な選手を集め、5人のDFとその前の4人のMFでブロックを作ってスペースを消しにきていました。中央突破はなかなか難しく、サイドからの攻撃を繰り返す日本は交代出場した中村敬斗が巧みなステップで左サイドを切り裂き、相手のオウンゴールで同点に追いつきました。結局4連勝とはいきませんでしたが、オーストラリアにはほとんど決定機を与えず、先制されながらも追いついて勝ち点1を積んだことはポジティブに捉えればいいのかなと思います。ただ、オーストラリアの激しいプレスで三笘や久保がマイボールを失う場面が何度か見られたので、そこはしっかり反省しておいてほしいです。来月はインドネシア、中国とのアウェイ2連戦になります。コンディションを整えて挑めば大丈夫だと思いますが、サッカーはバスケットボールなどの他の球技に比べて番狂わせが起こりやすいスポーツなので、そうならないよう気を引き締めて平常心でプレーしてほしいですね。早い時期に2位以内を確定させれば藤田や高井、関根などの若い選手を使うことも出来るようになるので是非この先も勝ち続けてほしいものです。

2024年10月14日月曜日

「光る君へ」を観て感じる我が身

 NHKの大河ドラマ「光る君へ」で主人公のまひろ(紫式部)が越前和紙の上に物語や手紙を書く場面がよく出てきます。あの美しい文字の主はてっきり影武者だと思っていましたが、吉高さん本人が書いてたんですね。ビックリです。紫式部の書く文章は独特の比喩表現も見受けられ、短くても気持ちが伝わる粋な文章に感心させられます。自分は?と言えば、近頃ではペンを走らせるよりキーボードをたたく方が圧倒的に多く、文字数が多くなっても苦にならなくなっているせいか、文章が長くなってしまう傾向にあります。最近では手書きの手紙もすっかり書かなくなってきており、字も下手になってきたように思います。若い頃は曲がりなりにも筆で「段」を持っていたんですけど、手書きで手紙を書かなくなるとダメですね。

 ところで手紙と言えば、先日たまたま観ていたTV番組でMCの方がある女優さんに「男性から手紙をもらったらやっぱり嬉しいですか?」と質問された時にその女優さんが「手紙は重たく感じるのでイヤ!嬉しくないです」と答えておられました。あーっ、やっぱりそうなんや..書いてる本人はそんな重たいつもりでなくてもそのニュアンスまで伝わるように書くのはなかなか難しいと思うし、結局ほとんどの場合「重たいからイヤ!」って思われるんでしょうね。紫式部のように短い文でスマートに伝える能力があるといいのにと自分でも思います...

神岡ラボ

 航空宇宙を考える旅?2日目は飛騨氏神岡町にある神岡ラボ(東京大学宇宙線研究所)を訪れました。飛騨地方も朝から雨、朝9時に宿から出発したのですが、高山市あたりから猛烈な雨。車の運転に支障が出るほど前が見えなくなりましたが、やっとのことで到着。ニュートリノというちょっと訳の分からな...