今日、66回目の誕生日を迎えました。家族や近しい友人からお祝いの言葉をもらっただけでなく、FacebookなどのSNSを通じて多くの人たちから「おめでとう!」という言葉をかけてもらいました。本当にうれしく、また有難いことです。若い頃と違ってこの歳になってくると何だか人生の終わりにまた一歩近づいたみたいな感覚もないことはないのですが、それよりも「さらに1年人生経験を積んで人間がまた少し大きくなった」ことへのお祝いだと思いたいですね。65歳になった1年前からいろいろな出来事がありました。いいことばかりではありませんでしたが、それでも自分が通ってきた道はきっといい道だったのだろうと思っています。今日から始まった66歳が今までの人生の中で最高の1年になるようにしたいものです。尊敬しているカズ(三浦知良選手)がCMで言っているセリフ「昨日の自分を超えること」を私も肝に銘じて66歳からの人生を歩んでゆきたいと思います。
2024年12月7日土曜日
2024年11月20日水曜日
厳しいアウェイ2連戦、乗り切った!
2026W杯アジア予選
中国代表 1-3(0-2) 日本代表
アウェイ2連戦となった中国との試合は年内最後の試合。点差はともかく勝利で勝ち点3を取ることが出来れば来年3月のホームでの2連戦でW杯への切符が確定させることも可能になる大事な一戦でした。前節のインドネシアとの試合が1日後ろになっていたため、中国代表より休養日が1日少ない厳しい状況。それもあって、スタメンは前回より5人変更になっています。6万人の相手サポーターの大声援は予想していましたが、ピッチ幅が約3mも狭くされていたり(三笘や伊東の動くスペースを無くそうとしたのか??)、日本の国歌吹奏時にブーイングをしたり、相変わらず相手チームへの敬意を感じることなく試合が始まりました。試合の方は相手のラフプレー気味の激しいプレーなどで前半なかなか決定機を作ることが出来ませんでしたが、久保のCKから小川のきれいなヘディングシュートが決まり、日本が先制。前半終了間際には再びCKから板倉がダイビングヘッドを決めてくれました。この日は日本代表も少し疲れがあったのか、後半に中国に1点返された場面では細かいミスが2つ3つ重なってしまったように思いました。ただ、その直後にすぐ3点目を入れ返したのは良かったと思います。もっとスッキリ勝ちたかったでしょうが、アウェイのこの状況の中で3-1の勝利、先ずは「良し」ということでいいと思います。これで勝ち点16として次のホームでの2試合(3月埼玉)がさらに楽しみになってきました。出場権を獲得できれば新しい選手を使ったり、違うシステムを試したり出来ます。来年3月の試合は今回招集出来なかった選手(冨安、伊藤、上田)を含め、違ったメンバー構成になるかもしれませんが、新しい選手の台頭も期待したいところです。
2024年11月18日月曜日
また一人、友人との永遠の別れ
3年前、長く一緒にサッカーをしていた親友を病気で亡くし辛い思いをしたのですが、先日また一人、親しくしていた友人(高校の同級生)が亡くなってしまいました。高校卒業後、別々の大学に進み、社会人になってからも長い間離れていましたが、60歳前にFacebookでつながり、最近になって同じようにFacebookでつながった高校時代の男女7人でFacebookやLINEで交流が始まりました。そのメンバーで博物館やフラワーパークへ遊びに行ったり、飲み会をしたり、この夏には高校時代の恩師宅を訪ねてみんなでBQをして楽しい時間を一緒に過ごしたりと、実に仲のいい7人でした。先日、その中の一人が突然病気で亡くなるという悲報が入り絶句してしまいました。「60代は要注意!」みたいな話をよく耳にしますが、3年前の親友に続いて身近な友人がこうやって突然いなくなると何と言うか「人生のはかなさ」を強く感じてしまいます。来月には私も66歳の誕生日を迎えますが、健康に注意するという当たり前のことくらいしか命を守る手立てはなく、それでもダメな時はダメ。もうそんなことは神さましか知らないこと、自分はこれからも自分らしく生きてゆくしかありません。今はただ、亡くなられた友人のご冥福を祈り、ご家族の方々の心の傷が早く癒えることを願うばかりです。
2024年11月16日土曜日
日本代表は勝ったけどDAZNの無料放送は...
2026W杯アジア最終予選
インドネシア代表 0-4(0-2) 日本代表
7万人以上の観客のほとんどがインドネシアの熱狂的なサポーター、試合開始前から異様な雰囲気の中で行われた試合は序盤のピンチを切り抜けた日本が4-0で勝ち、スコア上では圧勝という結果になりました。激しい雨が降る中、細かいボールタッチを得意とする日本にとっては不利な条件が揃うゲームでしたが、それでも試合を支配したのは日本でした。得点差はともかく勝ち点3が欲しかった日本にとっては少しホッとする勝利だったと思います。日本の勝利に喜んだ反面、残念だったのは試合をネット配信したDAZNのTV中継です。解説者以外にタレント数名が出演、常にワイワイガヤガヤとおしゃべりをしている音声が入り続け、そのスタジオの映像が画面の左側に映ったまま。とても試合に集中できる放送ではありませんでした。通常は有料放送となるところを無料で配信してくれるところまでは良かったのですが、いかに無料とは言え、これではずっと見続ける気になりません。おしゃべり無し、解説も無しでいいので、現地音声と映像だけでフル画面放送にしてほしいくらいです。次週19日の夜の中国とのアウェイゲームも無料配信されるようですが、このタレントさんたちのおしゃべり音声と映像は何とかならないものでしょうか?放映権料が異常に高騰しているとのことで、TV局の事情もわからないでもないですが、やっぱり通常の地上波もしくは衛星放送での放送をしてほしいものです。
2024年11月3日日曜日
◆ もう一度会いたかった..小学校の先生 ◆
その先生は私が小学校5年生の時に新任(新卒)で日野小学校に来られ、卒業までの2年間、私たちのクラス担任の先生になりました。名前は山村先生、滋賀大学教育学部を卒業されたばかりの若い先生でした。滋賀大学時代はサッカー部で、その当時も大学のOBチームでサッカーを続けておられました。小学校では勉強だけでなく、放課後にサッカー教室を開いてみんなにサッカーを教えてくれていました。サッカーの楽しさを伝えたいという先生の一途な気持ちを私も子供心ながら肌で感じてはいたのですが、当時、私はサッカーではなく野球ばかりしていました。「山口はサッカーではなく、野球の道に進む子供だ」と山村先生はきっとそう思われていたと思います。小学校を卒業し、山村先生とお別れした数年後、私も野球をやめてサッカーをするようになり、大学生の時に山村先生に「大学でサッカーをしてます!」という年賀状を出したところ、「うれしい!」という返事が返ってきたのです。山村先生のサッカー教室に参加していた同級生の中で大学までサッカーを続けていた人はおらず、小学生の頃はサッカー教室に見向きもしなかった私が結局「クラスの中で一番最後まで長くサッカーを続けていた教え子」になっていたのです。私と先生の歳の差は12歳くらいですから、私が大学生の頃、先生はその当時まだ30歳そこそこで、いつか近いうちに一緒にボールを蹴りたい!そう思っていました。
ところが、私が大学を卒業して数年後、山村先生は病気で亡くなられてしまいました。小学生の時に先生のサッカー教室で一緒にボールを蹴ることがなかったので、いつの日かもう一度会って一緒にボールを蹴り「僕はこんなに上手くなってるんですよ!」って先生に伝えたかった。それが実現できなかったのが今でも悔しくてなりません。もう少し早く会えていたら... 会いたかった人に会えなかったというのがこんなにも辛いものなのか、その辛さをこの時初めて味わったのです。
山村先生...
「私があれからもずっとサッカーを続けていたのを天国で見てくれてましたか?私が死んで天国に行ったら一緒にボールを蹴りましょう!」
2024年11月1日金曜日
50年前、サッカーとの出会い
子供の頃の夢はプロ野球選手になることでした。父親のキャッチャーミットを狙ってボールを投げ込む、小学校の頃はそれこそ巨人の星の主人公「星飛雄馬」を自分でイメージしていました。それがいつの間にかサッカーに...
中学生の頃、毎週金曜日の夜に45分間のサッカー番組「ダイヤモンドサッカー」が放送されていました。ヨーロッパのプロサッカーが中心で、前半45分を放送した後、翌週に後半45分を放送するという番組です。当時の日本では考えられないような観客の熱狂の中で行われる試合に引き込まれていっただけでなく、番組のアナウンサーと解説者(金子勝彦さんと岡野俊一郎さん)の話が試合の内容に留まらず、その国や地方の文化や歴史などにも触れながら解説されるのがスポーツ番組としては非常にユニークで面白く、どんどんその番組にはまっていったのです。そしてもう一人、ヨハン・クライフというオランダ代表選手の存在です。「空飛ぶオランダ人」と呼ばれていた彼のプレーを見てすっかり心酔してしまったのです。サッカーの練習の時には彼のプレーをよく真似したもので、特にクライフターンと呼ばれるプレーは何度も何度も練習しました。彼が付けていた背番号「14」を私も複数のチームで付けさせてもらいましたが、今でも「14」という数字には特に愛着を感じます。
65歳になり現役のプレーからは遠ざかりましたが、テクニックの紹介動画を見ていると背番号「14」をつけて走っている自分の姿を思い浮かべてしまいます。
2024年10月31日木曜日
おめでとう!ドジャース、おめでとう!大谷選手
MLB ワールドシリーズ第5戦
ニューヨークヤンキース 6-7 ロサンゼルスドジャース
ドジャース勝ちましたねぇ。大逆転ですかあ、スゴイです。大谷選手は先日の怪我の影響か、今日もあまりいい出来ではなかったですが、今まで頑張って素晴らしい成績を残してきた甲斐がありました。今日は再びヤンキースが勝って第6戦でロサンゼルスに戻ってホームで優勝を決めるのかな...ということも想定していたのですが、見事な逆転劇でした。二十代のころはプロ野球もよくTVで見ていましたが、もう今ではほとんどプロ野球の試合をTVで見ることはなく、野球を見ると言えば高校野球くらいかな。今夜はたぶん日本中がドジャースの優勝に祝杯をあげることでしょう。ニュース番組もドジャース&大谷選手のニュース一色で染まりそうです。私も今日は大谷選手に乾杯をしたいと思いますが、その次は来月行われる2026ワールドカップサッカーのアジア最終予選(15日 インドネシア代表ー日本代表、19日 中国代表ー日本代表)に気持ちを集中したいと思います。2つともアウェイゲームなので簡単ではないかもしれませんが、パワー100%で応援します!
2024年10月22日火曜日
姫路城へ
天橋立から始まった反時計周りのきまま旅は、鳥取砂丘を訪れたあと湯村温泉で一泊。最終日は湯村温泉から兵庫県を南下し、姫路城を訪れました。白鷺城とも呼ばれるこのお城はその名のとおり、白色が基調になっています。お城には松本城や熊本城の黒系お城と姫路城や彦根城などの白系のお城があります。姫路城を間近で見るのは初めてでしたが、美しく雄大です。天守の一番上(天守6階)まで上がらせてもらいましたが、急で狭い階段で登るのは結構大変でした。昔の人は小さかったということですかね?私もそうでしたが、大柄な外人さんたちも背中を丸めて頭を打たないように慎重に移動しておられました。日野町から出発した今回の旅、トータルの移動距離は600kmを超える旅でした。
2024年10月21日月曜日
餘部駅から鳥取砂丘へ
餘部橋梁にやってきました。今から40年近く前、強風に煽られた列車がこの餘部駅のすぐ横の鉄橋から転落し、多くの犠牲者を出した事故がありました。高校生の頃に夜行列車に乗って「知らないうちに通過した」経験はありましたが、お日様が高いうちにこの鉄橋を生で見たことはなく、以前から是非一度訪れたいとずっと思っていました。その思いを叶えるべく(車での訪問でしたが)やっとのことで訪れることが出来ました。当時から鉄橋も線路も新しくなっていますが、古い橋脚や線路も部分的に残されています。到着してすぐ、慰霊碑に手を合わせ、犠牲になられた方々のご冥福を遅まきながらお祈りしました。鉄橋の上にある「空の駅」には1時間に1本くらいしか列車が来ないのですが、時刻表を確認し、とりあえず1本だけ列車の姿を見届けて駅を離れました。その後、鳥取砂丘まで足を運び、初めて見る砂丘の圧倒的な広さに感激。思った以上に砂が柔らかくて歩きにくかったのですが、日本海とのコントラストは抜群で、眼前に広がる美しい日本海をいつまでも見つめる自分がありました。
2024年10月20日日曜日
44年ぶりの訪問
舞鶴からフェリーに乗り、宿も十分とらずに北海道へ2週間の放浪の旅に出たのは今から44年前の大学生の頃。舞鶴からフェリーに乗る前に近くにある天橋立に立ち寄ったのですが、もう全くといっていいほどどんなところだったか覚えていません。その天橋立を44年ぶりに訪れました。笠松公園側へ行き、リフトに乗って上まで行ったのですが、マジで絶景です。44年前は上まで登らなかったので覚えてないのかな...そんな風に思います。その後、車で海辺の道をクネクネと進み、竹野海岸にやってきました。風が強く、日本海は荒れまくっています。今夜は竹野海岸で一泊し、明日は朝から餘部駅(40年近く前、列車が鉄橋から転落するという大きな事故があった)に向かう予定です。
「犬猪会」忘年会
「犬猪会(いぬいかい)」という小学校の同級生の会があります。昭和33年4月~34年3月に生まれた同級生(現在66歳または65歳)の会で、干支が犬と猪であることから「犬猪会」と命名されました。その犬猪会にはゴルフの会もあります。年の暮れ、お昼にみんなでゴルフを楽しんだ後、夜は恒例...
-
その先生は私が小学校5年生の時に新任(新卒)で日野小学校に来られ、卒業までの2年間、私たちのクラス担任の先生になりました。名前は山村先生、滋賀大学教育学部を卒業されたばかりの若い先生でした。滋賀大学時代はサッカー部で、その当時も大学のOBチームでサッカーを続けておられました。...
-
今朝、目が覚めて外を見るとうっすら雪景色。日野町の平地では今シーズン初の積雪となりました。いくら暖冬の傾向があると言っても、やっぱり寒いことに変わりはありません。今年に入ってすぐに能登地方を中心に大きな地震があり、今日現在で100人以上の方が亡くなっておられ、それ以外にも多数の...
-
日本時間の12/10(火)夜、ノルウェーのオスロでノーベル平和賞の授賞式が行われ、日本被団協の田中照巳さんが自身の被爆体験、過去の活動や被爆者の現状、そして世界に向けて核廃絶の重要さを訴えられました。実際に演説が始まる前まではこれほど長い時間に渡って粛々と話されるとは、また感動...